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「師」NO1はこの人だな

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恩送りの「師」

人生の「師」と考えた時にやはり一番先に出てくるのは「母」ですね。

私の母は昭和3年10月5日生まれ。昨年90歳になりました。5人姉妹の四女だった私のポジションで母親の愛情を得るには壮絶な知恵と努力が必要でした(笑)

上の3人の姉たちはそれぞれに「愛されポイント」を兼ね備えて生まれている下の妹に至っては存在そのものが愛されポイントでした。母の愛情を得るために私が努力したのは「役に立つ」ということ。小学校に上がる頃には実家の商売を切り盛りしていた母親のお手伝いをする。これが愛されポイントアップの必須事項。

そうはいっても小学生がやるお店の手伝いなどたかが知れている。それでも母はいつも「助かる!助かる!」と喜んでくれました。その時の母親の笑顔が私の次へのやる気アップにつながっていました。

思春期には同級生男子に実家の商売をにからかわれたりしたこともあった。八百屋と酒屋だったから近所のスナックに配達というのが毎日のお手伝い、前から同級生が歩いて来るのをみて、遠回りしたりしてたなあ。恥ずかしさは母の「助かる」の一言で吹き飛んでいた。

自分が母になってわかったこと

ずっと母親に気に入られたいと思って過ごした子ども時代でしたが。いざ自分が母の立場になった時に今度は我が子を自分が母になって愛情を注がなければならないポジションになった時にふと戸惑った。いつも愛情をもらうことばかり考えていた私は愛をあげる方法がわからなかったのだ。

実家から遠く離れた地での子育て。言葉をしゃべれない赤ん坊だった我が子に話しかけることすら思いつかない。たまに実家に帰ると姉たちは母のそばで子育てのサポートもしてもらっている。同じ孫同士なのに自分の子ども達は「よそ者」な気がして疎外感を感じていた。母になってもまだ自分が母親の愛情をもらうことしか考えていなかった。二人目ができてやっと自分が母として自立できたきがするのは子どもを通して地域の中でコミュニティを作ることができた時だった。

してもらったことをしてあげる

子育ては手探りだったけど、迷った時にはいつも母親が自分にしてくれたことをおさらいしていた。青春時代を満州で過ごした母。終戦後命からがら日本に引き上げてきた母はどんなことにも動じない強いメンタルを持っていた。迷った時に母に相談するといつも決まって言ってくれたのが「日本では命まで取られることはない!何でもやれ!」という大雑把なアドバイス(笑)でも、そのアドバイスは母の実践に基づいた心強い言葉。私の人生の指針となった。

特に我が母ながらすごいなあと思うことがある。母は「喜び上手」なのである。お手伝いをすると「助かるわあ!」と満面の笑みで喜んでくれる。2年前から故郷奄美に40年ぶりにUターンしようと思ったのも母が生きているうちに喜ぶ顔を少しでも多く見たいと思ったから。奄美に居る日曜日はいつも「母の日」と決めて居る。母にもらった恩は返せないけど少しでも喜ぶ顔が見たいと思うのだ。毎回日曜日に奄美大島中を母と犬とドライブしたら行くところがなくなった。そこで年末に思い立って飛行機で鹿児島まで2泊3日のプチ旅行にチャレンジした。姉の助けを借りて親戚の家とホテル泊。

母はとても喜んだ「長生きするとこんな良いことがある」とか「もういつ死んでも良い」とか「これで最後の旅行になるね」とか色々な言葉を並べ立てて喜んでくれる(笑)本当に喜び上手なのだ。母と違って父は喜びを表現するのが苦手な人だった。私はどうも父親に似たようだ。母が元気な間にこの喜びを表現する技を見習いたいと思った。母の得意技である「笑顔で喜ぶ」このことは喜び下手な私にとって一生の「師」となっている母。子育てとか生きる知恵とかではなくて「素直になる」「笑顔は人の行動の原動力になる」ということを学ばせてもらっています。

への恩とは

以前ある方の話の中で出てきた言葉がある。それは「親への恩は一生かかっても返せるものではない」ということ。

そんな時に自分ができる恩送りってなんだろう?と考えた。それは母がやってくれたことを次の世代に送ることなんだな。って思った。それは我が子だったり自分の周りだったり。私が子育て中の母親が「はたらく」を通して社会参加し、成長できるプログラムを創る!ここにつながって居るなあって思う。

母への恩は返せるものではないけれど、たくさんの人とのご縁の中で母にしてもらったことが誰かの気づきに繋がれば良いなって思う。

私にとって恩送りの原点は母親です。

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